三宮神社
三宮神社
拝殿
三宮神社(さんのみやじんじゃ)という名前の神社は、日本各地に存在する。その名の通り「三宮」に位置附けられる神社で、令制国における一宮・二宮に次ぐ神社、もしくは、神社の摂末社の中で3番目とされる神社である。
ここは、神戸市中央区三宮町に所在する生田神社の摂社。
幕末に、日本の将来を危うくする事件が発生した場所である。
神戸事件と言われる。
慶応4年(1868)1月、鳥羽伏見の戦いが起こった。新政府は、徳川方である尼崎藩を牽制するため備前藩に西宮の警備を命じた。1月11日、その備前藩の部隊500人が西宮に向かう途中で三宮神社前にさしかかったとき、2人の外国人水兵がその行列を横断しようとした。迂回するよう命じたが言葉が通じず、やむなく隊長の滝善三郎はその一人を槍で突き、負傷させた。連れのもう一人の外国人が驚き短銃を出すと、滝は「鉄砲!鉄砲!」と叫んでしまう。これを発射命令と思った鉄砲隊が威嚇射撃をしてしまった。
その騒ぎで神戸にいた英国公使パークスは神戸港に停泊中の軍艦に信号を送ると、英仏米の兵士が軍艦から上陸、備前部隊を射撃した。備前隊は生田方面に逃れていった。
この事件で四ヶ国連合艦隊は日本政府に抗議書を送りつけ居留地防衛という名目で臨戦体制に入るという大事件に発展した。
新政府はまだ、政権が幕府から朝廷に移ったということを外国に対して宣言していなかった。急遽1月15日、朝廷は明治政府に政権が移った事を表明、事件の交渉を開始した。
結果、部隊を率いた備前藩家老の日置帯刀は謹慎、隊長滝善三郎は切腹という事で決着した。
怪我と切腹ではバランスが取れないが、滝善三郎の命と引き換えに、神戸は、外国による占領を免れたとも言える。滝善三郎の墓は、現在能福寺(のうふくじ)兵庫県神戸市兵庫区にある。


大丸神戸店の北エレベーターで降りると、斜め前にあります 神戸事件の石碑
当時の大砲 手水舎

   
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