大和郡山城址
追手向櫓(おおてむかいやぐら)  右手後方は、追手門

郡山城の歴史は転々とする。
天正8年、筒井順慶が織田信長より大和一国20万石を与えられ、筒井城から郡山城に移り、砦規模の城を本格的な戦国城郭へと修築を開始した。 
天正13年に豊臣秀長が、大和・紀伊・和泉100万石の太守として入城すると、城の修築は本格化する。羅城門の礎石や、寺々の礎石、石仏、五輪石塔等の石が石垣に転用された。 
その後、増田長盛が郡山20万石で入封する。 長盛は、城の修築を続け外堀(総堀)を普請し、ここに城の完成をみる。 
元和元年、三河刈谷城主水野勝成が6万石で入封する。
その後に、松平忠明が大坂城から12万石で入封する。
水野・松平時代に大坂夏の陣で戦火を被って、荒れていた城を幕府直轄で、伏見城から城門を移築するなど近世城郭へと改修した。

その後、本多・松平・本多氏と城主は替わり、享保9年に甲府城主柳沢吉里(柳沢吉保-第五代将軍徳川綱吉の寵愛を受けて、元禄時代には大老格として幕政を主導-の長男)が15万石で入封する。
以後、柳沢氏は信鴻−保光−保泰−保興−保申と代々居城し明治維新を迎える。
奈良県大和郡山市城内町
遺 構: 復興櫓、櫓門、曲輪、石垣、堀、移築現存門
第50回お城祭り(2010.3.26〜4.9)

SPOT
三の丸緑地
何回か訪れた郡山城だが、お城祭りなので、受付で案内図もくれた。
三の丸緑地
紅しだれ 入り口は踏み切りの向こう
オオシマザクラ 五軒屋敷池
五軒屋敷池 石垣
追手門 柳沢文庫玄関
東隅櫓 東隅櫓
城跡会館(旧奈良県立図書館) 明治期の建物 お堀の水面に散った桜の花が一杯
散策道 本丸方向
お堀端 菜の花と桜
柳澤神社
御祭神 藩祖、柳澤吉保
拝殿
本殿 天守台
ここからの眺めはいいらしいが、本日は立ち入り禁止の札があった
大和郡山は金魚で有名
神社境内に出店が出ていた。
5000円が2500円の表示 東錦という品種
お城の入り口にも金魚の塔がありました。
大数珠
全長162m、1080個の大きな数珠
石垣に埋もれた石仏等の霊を弔うため
逆三角形の暗闇の中に、「さかさ地蔵」がある。
石垣と一緒に積まれたのだろう、頭が下になってる。よ〜く見ないと分かりません。
出店も一杯出てます 近鉄電車が美しい


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